都会の中に確かに存在した異国。
名を、精華寮という。
昭和2年、台湾総督府『学祖財団』により、台湾人留学生宿舎として建設された。
昭和2年、台湾総督府『学祖財団』により、台湾人留学生宿舎として建設された。
土地は日本国有地、建物は上記の台湾総督府関連財団の所有物。
終戦を迎え、台湾が日本の統治下を離れてから、
長い長い旅が始まることになる。
戦後のドサクサの中、精華寮は所有者不在のまま国有地を占拠し続ける。
管理団体の消滅後も留学生の入寮は続く。
台湾人や中国人が自治組織を作り、又貸しを受けた日本人までもが住み着くようになった。
完全に治外法権の共同生活が行われていたようだ。
月日は流れ、平成15年。
活動実績の無い実態不明の財団法人『道徳奨学会』が、建物の所有権を巡る裁判に勝訴。
台湾総督府『学祖財団』より譲り受けたという主張を地裁が認め、
平成18年、所有者の移転登記を済ませてしまう。
この頃には生活保護受給者までもが入居し、混沌を極めていた。
平成18年、所有者の移転登記を済ませてしまう。
この頃には生活保護受給者までもが入居し、混沌を極めていた。
そして平成19年7月19日、精華寮は炎に包まれる。
煙草の不始末により、女性2人が犠牲となった。
建物の各所に火災の痕跡が残る。
煤で真っ黒になった室内には、今でも元住人の生活用品が残されている。
歴史と混沌を内包したこの物件、
現在は財務省が、「道徳奨学会の不法占拠」を主張している状況。
現在は財務省が、「道徳奨学会の不法占拠」を主張している状況。
所有者を巡る騒動のお陰で、建物が取り壊される事は暫く無いであろう。
旅はまだ終わりそうも無い。
旅はまだ終わりそうも無い。
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