前夜に現地入り、車中泊を決行。
車のすぐ外で雷鳴が轟く中、同行者とウィスキーを飲み交わす。
朝にはこの雷雨は通り過ぎているのだろうか…という心配は杞憂に終わった。
2年ぶりの架空索道。
風景は何も変わっていない。
前回訪れた際、この道を車で駆け抜けた。
その時の同行者の車はダートラ仕様のインテグラ。
アンダーガード装備はもちろんの事、ラリータイヤまで履いて来てくれた。
写真を見る限り良好な道に見えるが、鉱山に近づくにつれラフになる。
今回は考えるまでも無く、登山道を下る事にした。
広大な敷地を眺めつつ、山歩きを楽しむ。
途中、カモシカに出会った。
この高低差と厳しい気候の中、最盛期には300世帯以上、約2100名の人口を誇った。
昭和12年に発生した大規模な地滑りでは254人もの命が奪われたという。
しかし翌年の昭和13年には操業を再開、国内有数の硫黄鉱山として国の発展を支えた。
鉱山最盛期の写真を見た後だと拍子抜けしてしまうほど、建造物は現存していない。
屋根だけが残る労組事務所。
豪雪地帯故の雪の重みと年月が、木造家屋を地に還そうとしている。
「CCC」と「SK32」が何を指しているのか私には判らない。
だが、小串の「小」の文字が誇らしげに、今も静かに輝いているように感じた。
平置きされた荷台に草木が生い茂る。
別のトラックには少し歩いたところで出会う事ができるが…
この荷台の主は何処へ行ってしまったのだろうか。
前回訪れた時よりもだいぶ移動していた君。
みんなゴロゴロ曳きたくなるよね。
夏に訪れたので、遺構の大部分が植物に覆われていた。
選鉱所はまるで古代ローマの遺跡のよう。
自立しているのが不思議、という感想を抱いてしまうコンクリート群。
この山深い土地に、この規模の建造物を築くのは大変だったであろう。
ほぼ半日を費やした探索を終え、毛無峠へと戻る事にする。
ガスが出やすい地形と、同じような風景の連続。
この近辺が遭難多発地帯というのも頷ける。
沈殿池を踏破するという目標は果たせなかった。
それはまた、誰かと共に来るであろう日に。
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